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 ガラスの壜に赤いジャムのようなものがハート型をして入っていた。
 薄暗い店のなかの埃に埋もれたような棚にそれは並べられてあり、目を引くような特徴もなく風景になじんでいた。日焼けした付箋がついており、掠れた字を何とかして読みとると100円とある。どうして手にしたのだろう。
 店の奥にプラスチックの日焼けして茶色になったレジスタがあり、その奥に老婆が眠るように店番をしていた。
 ガラス瓶の向かいの棚には駄菓子が並べてあり、ところどころ虫食いになっている。昼さがりだから暇なのか、夕方になり学校がえりの子供たちが寄るような時間でも、この調子だろうか。
 夏の日差しをさけるために思わず寄っただけで、日陰でも汗がうかび、空気中に充満した埃のせいで余計に蒸しているように感じられれば涼をとりに入った思惑もはずれる。さらりと棚の赤いジャムのようなものが入ったガラス瓶から目を離して、早足に店をでる。
 蝉の鳴き声が耳をおす。
 目の前の大通りをトラックが排気ガスを巻きあげながら去っていく。
 額の汗を手の甲でぬぐうと、遭難者のようにおぼつかない足取りで道のさきを急いだ。
 歩きながら、身軽な格好でよかったと思う。荷物を持っていなくてよかったと思う。
 会社を首にされると、空気のぬけたビニールボールのように気力がなくなり、再就職を考える気にもなれずに時間ばかりが過ぎている。何日も部屋をでずに大学生のような生活をくりかえしていると、次第に不安になり、衝動的に家をとびだして、バスに飛びのった。地下鉄ばかり利用していたから、バスに乗るのは初めてのことだった。周期的な心地よい震動に身をまかせていると、いつも寝ている時間のせいもあって、気づけば終点の営業所にいた。
 バスを降りると、そこはコンクリートの陰もない、アスファルトが草叢のなかを走っているような田舎だった。
 道なりにすすみ、どこかのバス停か電車の駅から帰ればよいと思っていた。疲れてはいった店が、さっきの怪しい店だ。
 土地勘もなく、方向もわからない。太陽に背をむけて歩けば、だいたい家のある地区に出るだろうと当りをつけている。夜までに帰ることができなければ、野宿してもいいのではないだろうか、と思う。明日にしなくてはいけないことなどない。義務もなければ、約束もない。
 いま私は自由なのだろうか。それとも不自由なのだろうか。
 益体のないことを考えていると、背後から声をかけられた。ふり返ると、見知らない女がたっていた。黒いレエスのついた日傘が印象的で、全体に黒っぽい服を着ているのも目につく。蝉のうるさい季節に似あわない、熱そうな格好だ。
「しんぞうを知りませんか」
 女は苦しそうにいう、額に玉のような汗がうかび、日傘をもつ手にも汗が浮いている。対称的に顔色は青白く、いまにも倒れそうでもある。死体のような、というよりは死にかけの、燃えつきる寸前の蝋燭のような熱が身内を走っていそうだ。
「しんぞう?」
 女はうなずくと、空いた手を自分の胸に持っていき、服のたもとを開いた。鎖骨から肋骨までのやわらかな、白い女の肌が夏の日差しのしたに晒される。乳房のある場所にはそれに代わり暗い洞があり、彼女の呼吸にあわせて穴は収縮していた。
「しんぞうがないのです」
 と女は苦しそうにいうと服を肌蹴させたまま、私にちかより、私の手をとると自分の鼻先にちかづける。小さな女の手は見た目どおりに汗でしめり、熱をもっていた。女は私の指のにおいを、鼻孔をひろげながら嗅ぐと、恍惚とした目つきで私のことをみあげる。
「私のしんぞうを知っているはずです。見たのでしょう、ガラスの壜にはいったしんぞうを。触れたのでしょう、それを」
 私の指をちぎるような力で女は握りしめる。私は薄暗い店でみつけたガラス瓶のことを思いだした。あの不思議な物体が、この女の心臓だと思うのには無理がある。そもそも女が心臓のないのに出歩くことに無理がある。
 数学の公理でいえば、前提に偽があれば結論は何であれ、命題は真になるという。女が心臓のなくても動くことのできる人間という論外であれば、心臓がガラス瓶のなかにはいり陳列されていたとしても不思議なことはない。
 私は、私の落ちつきを不気味に思いながら、女に、道のさきを示して、ある店の棚に心臓がガラス瓶にはいって陳列されていたことを教えた。
「ありがとう」
 と女はいうと、肌蹴た服をなおして私と行きちがう。私は、小さくなっていく影法師のように黒い女の背をみおくり、二度と会いたくないと思う。
 心持ち早足になって道を進んでいくと、バス停に行き当たり、都合よくバスがやって来た。幸いとバスに乗ると、熱い中に歩いて消耗したせいで、空調の効いた車内の心地よさも手伝い、気づけば寝ていて、どこかの駅のロータリーで運転手に肩をゆすられた。
 目をさますと、礼をいってバスをでる。すでに日は暮れてい、外灯のあかりだけで照らされる見知らない町の駅前は、心細いぐらいに何もない。
 駅にはいり、路線図をみるとそんなに遠くない場所のようだった。

 のち、何度か同じバスに乗って、同じ場所を訪れてみた。好奇心に動かされたのだろう、あの女がどうなったのか確かめたかったのだろう。けれど、同じバスで終点までいき、同じ道をあるき、同じ店にはいっても、あのときのような不思議なことは何もない。たしかにあの店には、あのときと変らずに老婆が店番をしていたし、不気味な赤い物体のはいったガラス瓶は陳列されていた。埃のつもり具合から、最近一瓶売れたのも分かる。女の心臓とガラス瓶の中身をむすびつけて考えるのは容易いが、ほんとうに結びつくのか確証はない。
 確証が欲しくて何度も通ううちに、終点の営業所から偶然ゆきあったバス停までの道のりは馴染みのある道にかわった。馴染むほどに女と再会することもないような気もした。
 次の仕事がきまり、忙しくなれば、その日のことも次第に薄れていき、いまでは夢を見ていたのか、現実にあったことなのか分からなくなっている。
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 肥大化した自意識で糖尿病にかかっちまえ!

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